開発者からのメッセージ
Q−Uの開発に込めた思い
早稲田大学教授 河村茂雄
Q−Uを開発してから10年が経った。開発当時、いじめ被害を受けた中学生が、自分のいじめられた辛さを綿々と大学ノートに綴って自殺する事件が全国的に続き、社会の批判が学校、教師に向けられた。曰く「そばにいて、教師なのに、子どもたちの心に気がつかなかったのか」である。
10年経った現在、佐世保の少女殺害事件の影響で、Q−Uへの問い合わせが全国の教育委員会から再び殺到している。NHKなどのテレビの取材も相次いでいる。
わからなくなったという現代の子どもたちの内面を、教師はどう理解し、どのように対応すればいいのかという危機感と、わからなかったでは教育の専門家として許されない、という批判への対策があるのであろう。その有効な対策方法がQ−Uだからである。
しかし、である。
確かにQ−Uは学校・学級生活への不適応、不登校、いじめ被害の可能性の高い子どもを早期に発見できる尺度である。さらに、学級集団の崩壊の可能性を、的確に推測できる唯一の標準化された心理テストである。子どもたちへの対応、学級集団への対応の指針の情報を、たくさん提供してくれる。
ただそれもこれも、Q−Uの結果を吟味し、子ども対への対応、教育実践に具体的に活用してこそ生きてくるのである。Q−Uを実施しただけでは何も変わらない。
つまり、子どもたちへの対応や教育実践の前に、しっかりアセスメントしているのか、アセスメント結果に基づいて対応や実践を工夫しているのか、という、極めて基本的な教育実践への取り組みの姿勢がない教師には、Q−Uは無用の長物といえよう。そのアセスメントも、日常観察と経験則による勘が中心の教師も同様である。
教師の日常観察と勘には限界がある、その事実を謙虚に受け止め、その限界を補う方法論を駆使して教育実践をすることが教育の専門家としての教師の、倫理ではないだろうか。医師だって、患者の治療をする前に、必ず検査をするではないか。
Q−Uの活用は、より的確なアセスメントに基づき教育実践をしよう、という、当たり前のことを、確実に、地道にやっていこうという主張が込められている。
その取り組みこそが教師が教育の専門家として、自他共に認められる近道だと、切に思うからである。
当たり前のことを、忙しさにかまけて、経験があるという自負から、怠ってはいないだろうか。私自身への戒めでもある。
引用文献
2004年7月財団法人応用教育研究所発行 応研レポートNO.70
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この改行が大事だったりする→
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